女神さまによろしく

ココロとカラダはつながってる。本当の命を生きるために。

愛、愛、愛、

愛してる自信があるから、はっきりものが言える。(私はこの人を傷つけない。)予想外に相手が傷つくこともあるけど。相手が受け取れなかった…。

 

愛されている自信があるから、ひどい態度をとれる。(この人は私の言葉で傷つかない。)後から後悔に苛まれることもある。私はこの人の愛を受け取りきれず暴れた…。

 

愛してない人には、そこまで関心持てない。まだ、その愛がみえるほどに私が成長していないのかもしれない。

 

嫌いな人は、距離をとる。ひどい態度が漏れないように。傷つけたくないから。

八つ当たりってわかってる。わかってるけど、その人にとっては3次元で生きていく術を身につけることになる(他人との共存)。

時間差で愛だったって受け取れたりする、もちろんそこまで傷つけなくてよくない?てのもセットで思うけど。

最終的には、その人の生きるテーマがみつかるきっかけにもなる。ネガティヴの方が解決しようと頑張って、その人の個性にたどり着くきっかけになるから。

 嫌いだと思っちゃう自分を責めないこと。

 

 

嫌われたくない人には、一生懸命話しかける。そういうときはすでに嫌われてるから、しつこくして嫌がられるだけだけど。

たぶんその人も、最初はちょっと嫌いだから離れたい程度なので、さっさと諦めること。自分が相手に無関心だったら気にならない程度の無視だから。

引っかかるんだから、なんか縁がある人で、今執着しなくていい。たぶん私が傷つかなくても、どこか別の人がその人の課題を解決することになる。

 

 

 好きなら、ハートが開く。相手との距離がなくなっているのがわかる。

 

好かれてるなら、ハートが開いているのがわかる。目をみても違和感を感じない。

 

ハートが閉じたのがわかったら寂しい。ただの情報のやり取りで終わってしまう。

 

 

嫌なことをされそうになったら、させない。離れる。

やめてって言えたら関係性が変わるかもしれない。相手が理解できないかもしれない。一回言ってもダメでも半年言ったら変わるかもしれない。

やめてって言って相手が激怒するなら、やっぱり離れるなり、自分を守るために表面上適当に接するなり、しないといけない。

本当の意味で愛されてるなら、私の言葉を聞いてくれるだろうし、そうじゃないならその人自分しかみてないから、まず自分を守って。

 

世の宇宙人さまへ

ちょっと前まですごく結婚したかったけど、今は自分とラブラブしているのが楽しい。

人が結婚するって聞いて、なんか置いていかれた感を感じていたけど、今はかなり人ごと。

 

なんで羨ましくなくなったのだろうって考えて、ふと「私、人間やめたんですよね」って出てきた(笑)

 

小さい頃の夢は、普通の人になることだった。

周りの人たちとずっと話が合わないと思っていた。普通の人が楽しんでいることが、全く楽しいと思えなかった。

 

最初っから、人間じゃなかったんだけど(笑)

人間になろうなろうとして、一生懸命人間の演技をしていた。全く楽しくなかった。たまに生きててよかったって思うけど、それは神様が見兼ねてギフトをくれた瞬間。

ずっと人間のフリばかりして、隠れ蓑になりそうな人を探してはくっついて、全く自分の人生を生きられてなかった。

 

そりゃあ人も離れていくさ。

 

人間やめたんだから、もう普通の人のフリしなくていいんだよ。嫌いだって自覚して、作り笑顔で人間界の慣例に則っていくだけ。そこでひっかからず、本来の目的を遂行するために熱く存在するの。

 

ムカついて、自分でも抑えられない怒りを溢れさせて、周りを破壊する時期はもう過ぎた。

 

突然怒りを感じたり、突然の感覚に見舞われたり、人間界に合わない自分を責めなくていい。だって人間じゃないもの(笑)どうして既存の箱に合わせようとしてるの?身体がかわいそうだと思わない?

 

エネルギーは別に取っとこうよ。宇宙人は宇宙人らしく、地球にあるものを手に取って楽しんでればそれでいい。

 

人の和に入れないことを寂しく思わなくていい。だってあなた、外から影響を及ぼす人だもの。そんだけ共鳴力が強くて、他の人の鈍感さに合わせて演技して計算してリアクションして、普通はノイローゼになるよ。人の和に入ったら、周りの人が狂っていくよ。

いいのよ、孤独で。困らないようになってるはずよ?

 

和からこぼれた、勇敢な魂に伴走するためにきた宇宙人。

人間界という砂漠にさまよい、ミイラ取りがミイラになりませぬように(笑)

つながりと分離

罪悪感があるから分離するんだと思ってた。

神様から分離した罪悪感を抱えてるんだって!しかもその罪悪感をエゴに丸投げしてるんだって!

 

激しい感情を感じて泣いたら、世界と繋がった気がする。私と外の境界がなくなった。

そうやって繋がってた。

いつも少なからず自分と言う人間を作って演じてたんだな。

 

感情は天からのお知らせのみならず、天からのエネルギー供給でもあるのかもしれない。

エクスタシーも一緒。

あ、いや天とつながったから、いつも降り注いでいるエネルギーをそのまんま受け取れているんだ。

いつもいかに蓋しているか。

 

楽しく幸せに自分と居られるようになったら、繋がったとか意識しないようになるだろう。

気持ちよくない時だけ、あ、ずれたって気づく。

 

自分のことしか考えられない余裕のない人に、いくら愛してもらおうってムダだ。愛してあげようとしても、周りを見る余裕もないんだからムダだ。

その人を使って、好きな人に好きになってもらえないゲームをしてるだけ。その人はびっくりするくらい視野狭窄状態だよ。

 

多分その人、人をみるとしたら、都合よく利用するときだけだよ。特になるか、人のせいにできるか。

関わっちゃダメ。自分を保ったまま接してれば、利用できないと思われていずれ自ら離れていく。関わるならその人に合わせず、自分の思ったことをちゃんと伝える。

その人が賢かったら気づいてくれる。気づかなかったらほっときなさい。あなたは役(者)不足だった。

 

奴隷解放運動

「私には市民権がない」

4年前、相談していたカウンセラーに言った言葉。

 

私だけ勝手に喋っちゃいけないような、とにかく頑張らなきゃいけないような気がしていた。他の人は好きに喋って、好きに楽しんでいい。

 

だいぶ思うまま喋れるようになって、楽しめるようになったと思っていた。

 

仕事ではまだまだなので、一人前に仕事もできない奴が雑談に加わるなんて勘違いで、とにかくヒマさえあれば仕事しなければとおもっていた。

 

仕事ができないから、一人前の人より遠慮して気配りしなきゃいけない。って仕事の経験が浅いことを言い訳に、まんまと奴隷になってた。

 

なんで雑談ができないのだろうと思っていたけど、喋っちゃいけないと思っていたからだ。奴隷として市民権がある人に接しているから、そりゃあ緊張して怖いし、なんか相手が気持ちよく喋れるようにしないといけない気がするし、対等に喋れるわけがなかったのだ。

相手もなんか感じて、いきなりぞんざいな扱いになったりナメられたり、この子はイケると思われてしつこくされたり。

 

うまくお喋りできない、寂しい、の前に自分がしゃがんでいた。勝手にしゃがまれると、相手も寂しいし、上から目線にならざるを得ない。

 

奴隷だから、「嫌だからやめて」が言えない。正しい理由や相手が納得するような理由がないと、やめてくださいって言えない。

結果、自分が嫌な状況に居続けるしかなく、選択権がない感じ。私が嫌っていうのも当然な理由なのに、それは言う権利がないと思ってる。

 

あるのにねえ。相手も自分も。

自分との結婚

以前は、食事を作る時間がもったいなかった。お風呂も夜8時から入るとか考えられなかった。

そういうのをぎゅっと寝る前の時間に押し込んで、空いた時間で何をしてたかというと、何か生産的なことをしていた。もしくはひたすらぼーっとしていた。もしくはひたすら食べるか呑んでた。

 

自分と一緒にいてあげず、人から評価されることばかりやってた。

自分のための時間は、寝る前の時間にぎゅぎゅっと押し込んで、それ以外は人のためにばかり使っていた。

 

自分、かわいそうだよね。家族がいて、お客さんにばかり気を使って、子供にはあっち行ってなさい、残り物食べてなさいっていう。

 

うーんひどい。

 

自分にこんな仕打ちをしていたなんて。

 

今は、できるだけ早く帰って、料理を作って、お弁当と晩ご飯に分ける。すぐにお風呂に入って、1時間くらい汗が出るまで入浴する。寝る前にブログを書く。そして早く寝る。

 

帰宅してからの時間は全て、自分のために時間を使ってる。

 

あーぜいたく。

 

少し前に時間がほしいと願った。時間がないと思って振り返ると、集中できない時間とか、感情が暴れ出してどうにも自分を制御できない時間とかがあって、それをムダな時間だと思っていた。効率よく仕事して休みたいと思っていた。

 

結局は感情解放するために時間をとるようになり、自分のために時間を使えることが、楽しくなった。自分とラブラブしてる感じ。

 

自分と分離している時間が減った。仕事では、嫌になったら感情を切って奴隷みたいになっているが、最近は奴隷をやめて感情も切らなくなった。罪悪感を思わぬところでバンバン感じるがこれも乗り越えてみたい。

 

というかなぜ奴隷のように働いていたのだろう。とやめてみた今思う。奴隷モードが当たり前と思っていて、やめてみて初めて、どれだけムリしていたかに気づく。

できないと思っていたから、人一倍働かなきゃと思っていたから。頑張ったあげく人に八つ当たりするのは致し方ないと思っていた。

そんなことはない。センターにいられない状態を選んで生きるなんて、ゾンビと一緒だ。迷惑だ。

 

頑張るのが美徳という教育…親も先生もわかってないまま言ってることが多いよな。私もわかってなかった。

人生遊び

焼肉屋にある、ピンセットみたいなトングがある。それで、一緒に食べてた人のトングの先をつまんでみたら楽しくなって、自然にどっちが相手の動きを封じるかって遊びになった。

 

そこにルールはなくて、ちょっとした悔しさやちょっとした優越感とか、そこにたまたまあった道具とかを使って楽しんでいる。

 

子供の遊びってこんな感じだよね。

 

最初っから楽しくて、ふと遊びが生まれてさらに楽しい。

 

こんな風に仕事しなきゃなー。

 

スポーツというゲームは、競争心や悔しさやハラハラ感を使って遊ぶゲーム。

ルールも自然に決まったもので、楽しむための制限。別に法律じゃない。

悔しさに飲み込まれて人を殺すレベルになったら本末転倒。

 

恋愛も。尽くすとか警察沙汰とか今ある家庭を壊そうとかいうのは、だいぶ本来の目的から逸脱している。所有欲とかマウンティング的な感じになっている。

 

やんなくてもいいことを、感情の引っかかりを使ってあそんでいるだけ。

楽しむ、それ以上頑張ったらそのゲームに乗っ取られてる。

 

挑戦は別として、頑張っちゃダメってことね。

 

地球にあるものと、感情装置で遊んでるだけだよ。最初っから楽しくいれば、自然と遊びが生まれる。

 

自分がない人のコミュニケーション

※過去の自分について書いています。

 

共感してもらえるだろう話題を振ってくる。(食事作るのめんどくさいとか、普段からイマイチと言われてる人の悪口とか、世間一般のイメージ)

それで盛り上がれたらいいけど、私はそうは思わないという予想外の反応がきたら、パニックになってしまう。

世間一般のイメージであって、自分の意見ではないから、その後の会話が盛り上がれない。

 

人のことはすごく知りたいけど、それは自分が傷つかないためだったり、自分が役に立てる(その人のためではなく、その人から気に入ってもらうため)ポイントを知るため。

その人自身に興味があったり、違いを楽しむためではない。

 

相手と同じ意見だと安心する。だからたとえ違う意見を持っていても、相手に合わせようとする。だからまずは自分を出さず、相手のことを理解しようとする。

相手を傷つけたくないと思っているけど、本当は地雷を踏んで嫌われるのが怖い。

 

話を聞いてもらうと嬉しいので、聞いてくれると思ったら、境界線なくなる感じで喋り続ける。

ただ自分の本音ではなく、キャラ設定してかっこいい自分をみせる感じで喋るので、最初は人を惹きつけて面白いけど、だんだん面白くなくなる。

思い込みが激しいので、話を聞いてもらえると思った途端に、相手の反応に鈍感になる。

 

相手がそっと距離をとろうとしても、わかりやすく嫌な態度を取られない限り、嫌われたということが理解できない。

最初は優しくしてくれた、なぜ最初のように楽しくならないのかなって無邪気に工夫する。それは気に入られるために相手に介入することであって、引いてる相手としてはこれ以上近づくなーとさらに態度が強固になる。もしくはいいように利用される。

対等なコミュニケーションが取れなくなっていく。

 

健全なコミュニケーションをとるために。

自分を作る。人の指示で動くのではなく、自分で選ぶ、自分で責任をとる。ラクじゃないし怖い、でも自由が手に入る。自分で選んだ経験が、オリジナルな自分を作っていく。手に入った自由で、自分に愛を注ぐ。余裕ができることで、自分の声が聞こえやすくなる。

まずは自分とツーカーなコミュニケーションがとれること。自分は大事にされる価値があると自覚すること。自分を隠さず提示すること。