ツインソウル的な
自分を生きる。
自分を生きれば生きるほど、相手が近づいてくるようになった。
自分を愛すれば愛するほど、相手もリラックスするようになった。
今まで、どうやったらやり過ごせるか、バレないかばかり考えていた。
死にたくなってやっと、自分を幸せにしようとやっと行き着いた。
相手が変わるのを待っていた。
相手も、私が自分の人生を歩み始めるのを待っていたんだ。わかんないし、言ってよって思うけど、きっと言われても理解できなかっただろう。今の状況、過去の私からは想像つかない。
自分を愛すること、自分を生きること。何しててもいい、自分の命をちゃんと燃やすこと。それだけしてれば、ちゃんと相手から愛される。
自分にやったことがイコールで相手にやったことになる。
自分をないがしろにすると、自分を愛してくれる人をないがしろにする。
もっと自分を知ろう。それが相手を知ることになり、相手を愛するバリエーションになる。
肉体と話してみる
ドキドキする。
みぞおちに聞いたら、女になるのが怖いって。
なんで女になるのが怖いのって聞いたら、母みたいになるのが嫌。
なんで母みたいになるのは嫌なのって聞いたら、経済的な後ろ盾がないから。自由がないから。
自由がないとなんで困るのって聞いたら、一生自分の人生が生きられない。
自分の人生が生きられないとなんで困るのって聞くと、生きてる意味がない。
やるべきことができない。もっと他にやりたいことがある。
何?
自分の人生を生きて何がしたいの?
身体とコミュニケーションをとる。病気になる理由を知る。
それ、やってどうするの?
違う世界が見たい。
もっと自由な世界が見たい。
肉体から離れたいの?
そう。霊的な力使いたい。3次元の肉体縛りもういい、窮屈。
でもまえそれ飽きるほどやってきたらしいじゃん。
苦しいのもういいの。ラットレースもう飽きたの。これ楽しいの?
楽しいよ。楽しめばいいじゃん、笑っちゃえばいいじゃん、コント!って。
うん。
死にたい?
楽になりたい。
手足がだるい
足かせ、手錠、入ってこないで。
自分で足かせと手錠かけてるの知らないで、
なんで足と手痛いの?なんで人は私に入ってくるの?って泣いている。
そこの痛みもいいけど、その感情は、手錠に気づくためにある。痛みを嫌がって、大事なところを見ていない。
逃げて摂食障害に行くのは全然違う。システムを全く使えていない。
孤独が解決したら、摂食障害も自然と治った。摂食障害を解決しよう!って思って手錠に気づくならまだいい。というか摂食障害になるまで解決しようとしないなんて、我慢強すぎる。
じゃなんで手錠かけて、忘れてて苦しんで、気づくシステムになっているのか?
神様からのメッセージに気づくため?受け取れる人はそれでもいい。
自分と統合するためのプロセス?自分の声を聞きなさいよ、感情に敏感になりなさいよ。
感情を我慢するようにと教えられるけど、それもデマ。いい子ほど神の道から遠ざかる。
たんに愛の波動を上げるためのシステムの一部?宇宙の波動が上がってありがとう的な。我々歯車として泣いたり笑ったりしてるだけみたいな。
意志を持っているつもりで、たんに動かされているだけみたいな。
よく思う。神の動かす力が圧倒的に強力であることを。
エゴシステム!競争意識を持って、神から分離して、罪悪感を持って、ますます神から離れる。自力で頑張ろうとする。いち人間の出来上がり!
歯車として何も考えず生きたら、至福感に包まれるのだろう。ふと退屈と思ってしまう自分は、天の経験を憶えているのだろうな。
手錠を外す経験をいっぱいしたら、たぶんその人の役割にたどり着いて、自然と奉仕しながら至福感に満足できるのだろう。
まあ、一歩ずつ。楽になりたかったら、まずなんで痛いのか見つめることから。プライドは捨てる。
なんで痛いのかわからなかったら、感情を感じていいってまずは許可するところから。
感情と肉体とときどき思考
1人え っちでキレイになるとか祓うとかいうのは、どういうことだろう。
男性では、交感神経が優位になって勃 起したあと、副交感神経が優位になって射 精が起きる。
オーガ ズムもそれによって起きるとすると、交感神経-副交感神経の切り替わりが起こっている。
交感神経優位のときに骨格筋が勝手に収縮して、ぐーっと収縮したりがくがく動いたりする。交感神経が極まると副交感神経に切り替わり、いきなりリラックスする。多幸感で満たされる。
男性がすぐ寝るのは、副交感神経優位になったからだと思う。
賢者タイムって、性 欲でごちゃごちゃしている思考が、性 欲抜きで本来の自分に戻る時間だと思う。女性を人として見る時間なので、中身がないと「なんでこの子とやったんだろう」ってなって関係終了となる。
だからすぐしちゃダメで、結ばれてる人(つきあうことになってる人)なら、すぐしても関係は続く。
1人え っちの場合、ひたすら身体の反応に意識を向ける。思考は入らない。また副交感神経に切り替わることでリラックスできるし、交感-副交感の切り替わりが、自律神経のバランスを整えるのに役立っているのではなかろうか。
感情を感じるときもぐーっと感情を感じきったら、解放される。オーガ ズムと一緒。ちゃんと感情を感じれば、自律神経失調症とかなくなるのではないか。
大人は、感情を感じても途中で止めたりそもそも抑えたり、思考で理由付けしようとしちゃって、ちゃんと感じられてない。
日常がオーガ ズム=身体の気持ちいい感覚に集中すること。エゴ(思考)が入らないということ。身体の反応を聞いて、身体が勝手に動くということ。
まず、氣がないと気持ちいいも感じられないので、氣を入れる、あげる。ちゃんとしたものを食べるとか、元気な人と接するとか。嫌なことをしないとか。
放電
やることが多すぎて、もう頭が働かないんだけど、それでもこなさなきゃいけないからtodoリストを作って、むりやり肉体を動かして、息を止めて1日やり過ごす。
はあ、今日もなんとか乗り切った。
ぼけーっとするとき、意識が飛ぶとき、放電してるんだ。
もう頭がいっぱいいっぱいで、これ以上の情報を入れられません。文章が読めなくなるし、目が半目になるし、眠くなるし、人の話が理解できなくなるし、身体が思うように動かないし、記憶力落ちるし。
身体は逆におしゃべりになる。頭痛はするわ、下痢はするわ、肩こり腰痛絶不調。
身体が代わりに放電してくれてるのかも。身体が止まってって言ってるかもしれないし、部位によって伝えたいメッセージがあるのかもしれないし。
放電して、スペースを空けられたら、天から入ってくる。気力やら、いい方法やら。
現代人って過剰なのか。
身体を意識する
久々にマッサージへ行ってきた。
身体に意識を向けてないことに気がついた。
あれをしてこれをしてってとりあえず自分を置いてきぼり。休みたい気持ちを見ないことにしてロボットのように身体を動かすような。
あれをしてこれをして、それを自分が楽しんでいればいいのだけど。自分を消してやらなきゃってやるから、ある日インナーチャイルドが泣く。もういやーって。
これから殴られることが予測できて、もう我慢できなくなった状態。これ小さい頃の私。よく頑張ったわ。よく生きてたわ。生き延びるために耐えたよね。
あ、今の仕事の状態と一緒だわ。生き延びるために耐える、我慢して頑張る。
もう大丈夫だよ。殴る人いないよ。自由なんだよ。
そんな人生を自分にプレゼントしたい。
気づいたら思考が強くなって、身体の感覚が鈍くなってる。
意識して思考off、五感を意識する。食べることも味覚を意識して、深呼吸して、気を流して。
お風呂は頑張って入ってたんだけどな←触覚。時間ない〜って思いながら入ると疲れるだけみたい。
忙しいと五感がoffになると思う。忙しいときほど、思考停止、好きな色や好きな音を一個一個言ってく。肉体を意識するようにする。
肉体を緩めることで、初めてインナーチャイルドの感情が出てくる。緩めなかったら、困った現実として出てくる。しかもわかってもらえるまで繰り返し続く。ホラー!
さっさと肉体をゆるめましょう。インナーチャイルドの声が聞けるなら絶対に聞きましょう。
困った現実に振り回されてないで、本来の人生を生きましょう。
自力で頑張らない話
いくら頑張ってもダメ。
神様の言うことを聞かないと、次に行けないようになっている。
自力で頑張ってもタカがしれてる。
神様のメッセージをしっかり受け取れたら、羽が生えたみたいに今やってることが進む。
自力でやったことをベースに、神様が降りてきて仕事をする。我がなくなっても手が動くようになったとき、神様が降りてくるスペースができる。
全くやったことことないことは神様に頼んでもできないけど、ふとメッセージをくれる人が現れたり、助けを求めたら予想以上の援軍が来たり。
それを頑張るんじゃなくて、神様が何を伝えたいか聞こうとすること。自分の魂が何を言おうとしてるのか諦めずに聞くこと。
全然違うメッセージがきたあと、目の前のことがあっさり解決する。
問題を使って、神様があなたを愛そうとしている。
仕事にオーラを込める
いやいや仕事をしない。
まず自分がしあわせになって、幸せな波動を仕事に込める。
プレゼンスライドや、発する声に全部乗ってしまう。
敏感な人にはわかるし、わからなくてもなんとなく好きとか嫌とかいう印象は与えてしまい、ひいては売上につながると思う。
売上関係なくても、世界にはいい波動を響かせたい。
まずは、美味しいご飯をたべて、しっかり寝て、家や身の回りをきれいにして、わーいってなった状態でなんでもやる。
はぁ、やらなきゃって思いながら発表練習をした録音音源を聴いてみたら、想像以上にひどい声だった。これはいかん。
人に影響を与えるレベルになったら、頑張ればいいわけじゃない。まず楽しんで、楽しさを広めて。