女神さまによろしく

ココロとカラダはつながってる。本当の命を生きるために。

自己愛性人格障害

普通の人に、当然のように備わっている自己肯定感や自己愛というものが、私には備わっていないんだと思った。

死ぬほど傷つけ合う恋愛をしたことがあって、当時はどうしてうまくいかないのかさっぱりわからなかった。私が不安すぎて疑いすぎたからうまくいかなかったんだと、今ならわかる。そしてお相手にも備わってなかった。空っぽ同士で、怖くてもがいた。久々に会って話したら、びっくりするくらい穏やかに話せた。もともとはお互いに優しく、愛情深いタイプなのだ。この人も鏡。

 

このブログは、自分全肯定で書いてるけど、自分の感覚を肯定するのに役立ってる。自分の感覚を信じた上で、人と関わると、自分の判断力も成長するし、自分がどんな反応をするかというところから、自分がどんな人間かということがわかる。

 

自分はおかしい人間だと思い、自分の感覚を疑って、社会で生きていくために人に全部合わせてた。自分も、相手との会話も完全コントロールして、予想外の事態が起こらないようにしてた。予想外の自分の反応なんてなかった。

すると、いつも人に振り回されるだけの人生になり、いつまでたっても自分のことが分からないまま。たまに自分の感情の氾濫にあい、それをみせないように1人で落ちて、ということを繰り返してきた。

 

確かにこの不安定感で、安定を探し求めることで、いろいろな才能は手に入ったと思う。

作曲をしてたんですけど、これ!って音を探すのに役立った。なぜかわからないけど選ばれた。不安定だからこそ、安定の感覚を探し求めるのに貪欲で、その調和の音に普通の人もなんとなく惹きつけられるのだろう。

この文章もそう。人の話を聞いていてもそう。それってこういうことだよねって言葉にすると、「なんでわかるの〜!」と驚かれる。もやもやした感覚をこれ!って言葉に言い換えられる。不安定だからこそ、安定するところを追い求めた結果、訓練されたようだ。

 

最近私になかったものの実態がわかって嬉しい。私は普通じゃないと訴えて、「普通の人なんていないよ」って返されて。それは間違いじゃないけど。一般の家庭で、安心して生きてきた人が当たり前のように持っている安定感がなかった。自分を肯定したり、愛情をくれる他人によって少しずつ育てられた。